昔から「政治と宗教と野球の話をするな」とよく言われますが、本ブログは聖域の無いスペシャルメガトンなブログなので、今回は宗教の話を書きます。
基本的にコメディですし、特定の宗派や信仰を貶める気は一切なく、あくまで個人の経験と感想を書いたものですので、仏のような寛大な心でお読みいただければ幸いです。
よく分からん宗教遍歴
私が通っていた幼稚園はキリスト教系でした。
別に母親が「天使にラブソングを」を見たとか、アパホテルで聖書にハマったとか、そういう理由ではなくて、単純に家から一番近い幼稚園がキリスト教系だったというだけです。
一応、実家は仏教なのですが、信仰心というよりは、世間体とか先祖代々の伝統みたいなものでうすーく関わっているだけ。
このファジーさから分かるように、思想的には無宗教みたいなものです。
もうしかしたら、実家の近くの寺の名簿に名前が載っているのかもしれませんが、「最終ログイン:25年前」みたいな感じで記録されているものかと思います。
そんな私ですが、高校生活の3年間は、かなりの頻度で宗教と触れ合っていたんですよ。
クソほど勉強しなかった
私が入学した高校は、仏教系の学校でした。
もちろん信仰心とかは一切関係なくて、単純に頭が悪くて勉強が出来なかったので、家の近所だとその高校にしか入学できなかっただけ。
同級生もみんなそんな感じでしたし、母体が仏教系の主流宗教団体だというだけで、概ね普通の高校だったと思います。
私はガチで勉強が嫌いだったので、テストはいつも赤点。現国と歴史だけは、信長の野望の知識で乗り切ったのですが、それ以外は大体追試でしたね。
追試でも点数が取れないから追試の追試。追試の追試でも点数が取れなかった場合、普通の高校なら留年とかになるのかもしれませんが、私の通っていた高校は仏教系だったので、慈愛に満ちた救済措置があったんですよ。
それが写経。
追試で点数が取れなくても、出席日数が足らなくても、無断で行ったバイトがばれても、髪を染めても、写経さえちゃんとすれば、なんか知らないけどそれでオールOKみたいな感じだったんですよね。
私の高校生活は写経に満ち溢れた三年間だったということは言うまでもありません。
写経の流儀
私は日本でもトップクラスに写経をした経験を持つ一人だと思います。
流石に本職のお坊さんにはかなわないかもしれませんが、一般人としては最強クラスのはず。いわば写経ガチ勢なんですよね。
一般的に写経というと、畳の上で正座しながら、毛筆で習字のように書くイメージかも知れませんが、ハッキリ言ってそれは素人ですね。ガチ勢はシャーペンです。
基本的には1教科当たり、原稿用紙2枚半ぐらい(だったと思う)。それを5教科以上こなす必要があるので、いちいち墨汁と筆なんか使ってたら一生終わらないんですよ。
写経は心なので、別に書くものは何でもいいんですね。シャーペンでその辺の紙に書いとけばいいんですよ。心さえこもっていれば万事OKなわけです。
ポイントとしては、中盤、具体的には原稿用紙1枚目の中盤から2枚目の前半にかけては先生のチェックが緩いので、割と適当に書いてもバレません。字がキレイとか汚いとかは、ある程度しょうがない事だし、その人の個性です。心がこもっていれば良いのです。
あと重要なことは、監督の先生を仲間に引き入れてしまうということですね。
実際、ちゃんと書いているか監視しているだけというのは、非常に退屈なわけで、先生もできれば早く終わってほしいわけですよ。
ならばここは交渉。
こちとら写経ガチ勢ですから、過去に数十枚単位で写経を仕上げているわけで、過去に書いたものを差し替えて、今書いたことにすれば良いんです。この技を使うことで、大幅な時短になります。
写経バンザイ!
結局のところ、私は写経のお陰で高校を卒業できたようなものなので、写経というシステムを生み出した先人にはとても感謝しています。
個人的には写経をするメリットは、高校を卒業できたこと以外にはなくて、基本的にはクソ退屈なだけだったのですが、中には写経をすることで気持ちが落ち着いたり、自分を見直すきっかけになるとか言ってる人もいるので、そういうのが好きな人はやってみるのも良いかもしれません。
別にお寺に通ったりとか、写経用紙や筆を用意しなくても、その辺の紙にシャーペンとかボールペンで書くだけでも、心がこもっていれば、それは立派な写経だと思うので、興味がある方は是非一度お試しください。
ちなみに私は、卒業後は1回も写経はしたことありません。
まとめ
ネテロ会長が言っていたように、祈りとは心の所作なので、やっぱり心が大事なんですね。
ガチの写経ガチ勢の人が読んだら、これ怒られんのかな。
まぁ、別に悪いことは書いていないので大丈夫でしょう。写経バンザイ!